マイ・フェイバリット・シングス

道を走る白い車

 道を歩いている。信号に出くわす。赤信号だ。目の前の危険地帯を自家用車やタクシー、トラックが横切り、極太の白いペンキで作られた梯子の向こうには同じく信号が青に変わるのを待っているひとがいる。車が通るたびかれらは隠され、過ぎるたび人数を変えて現れた。時折自転車も通る。車道と歩道を都合よく行き来する二輪車に、そんなに自由でいいのだろうかと不安になる。隣に立つひとが車用の信号が赤に変わったのを見て勇み足になるのに、わかるわかる、とこっそりと頷いたりする。歩行者用の信号と結構時間差があるよね。あ、青になった。ぴこ、ぴこ、と電子音が鳴る中を、みんなそれぞれのペースで進んでいく。梯子の真ん中あたりに差しかかる。

 そこで、つと、横を向いた。沈む陽が眩しかったのかもしれない。道があった。当たり前だ。当たり前なのだ。でも、足元の梯子こそが道であったはずなのに。動揺に近いものが肌を覆う。

 左右には先ほどの自分と同じように、しかし違う立場で信号を待っている誰かが車に乗っていて、その向こうにも誰かが車で列を作っていて、自家用車の三人組がタクシーの運転手がトラックのドライバーがいた。いるのだ、とわかった。梯子がかかっている遊泳禁止のアスファルトでできた海原はぐんぐん遠くまで広がっていて、ここは立ち入れないんじゃなかったっけ? と、つい数十秒前にはそこを、今立っている「ここ」につながる「そこ」を走る車を見ていたのにも関わらずびっくりする。車の列の向こう側遠く、頭上にあるのと同じ車用の信号があるのが見えて、ああ、あの下にも梯子があるのだな、とかすかに目を見開いた。本当だ、小さくちいさく、黒や白や緑やピンクや、とりどりの色の服が動いていた。

 そのまた先にも海は続き、陸地に沿って枝分かれし、そこには白い梯子がかかっているんだろう。信号を待っているひとがいるんだろう。見えなくとも。空は滲むような日暮れである。体が浮き上がるような錯覚に陥る。飛んでしまいそうだ。くらくらするような光景だった。なんのことはない、ただの横断歩道と車道であったのに。でも、信号待ちをしていたときとはまるで違うもののようだった。

 歩いている自分のための時間制限付きの梯子だけが「道」であるという常識がいかに狭いものであるか、ふわふわした気持ちで、しかし歩みは止められない。のんびりするわけにも見とれているわけにもいかないのだ。頭上ではぴこ、ぴこ、と現実がタイムリミットを思い出させてくるし、向かいから来る誰かにぶつかったら大変である。小さな子供や荷物をたくさん持った自転車、それにスマホに見入ったままの誰かもいるかもしれない。そもそも青信号とはいえ絶対はないのだ。道路を渡るときは気を付けないといけない。

 だからこそ、人目を忍ぶように遠慮がちに、高速で走る車窓から木々の一本を追うようなままならなさと共に、せめて2.7秒で着地した。対岸に付くと間もなく、背後で車が走り出す。ガードレールで区切られた地面だけが素知らぬふりで「道」の顔をしていた。

 横断歩道を渡りながら一瞬だけ横を向くこと。私のひそかなお気に入りの話。

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