音声と未開の心

数年前、ものすごーく小さな会社に入社してしまい、いろんなことを任せられた新入りの自分。田舎から出てきて間もないし、業界のことを何も知らないし、知識だって取り柄だってなにもない自分は、どうしようもない気持ちで日々仕事をしていた。

そんな中でも、好きだった仕事はあった。そのなかでも一番大きいのがナレーションの収録。といっても当たり前だが自分が話すわけではない。声優さんやナレーターさんが意図通りに読んでくれているかをチェックする。声優さんやナレーターさんはいろんなタイプの方、いろんなキャリアの方がいた。ベテランの方に対しても、アクセントが気になるとか、少し発生が甘かったとか、専門用語の読み方が間違っているとか、たいていそんな感じのことを、若造の自分も指摘しなければならない。

いつもお願いしているスタジオのエンジニアさんは、そんな若造だった自分のことを最大限配慮してくれた。適切な指摘をしたときには褒めてくれたし、ミスをしたときにはピシャリと、しかし適切に指摘してくれた。収録は原稿の作り方一つ、ページ番号の付け方一つで大混乱に陥る。彼は読みやすい原稿の作り方を丁寧に教えてくれた。

その人は、誰に対しても、自分が好きと思ったものをきちんと好きといい、ダメなものをきちんとダメと言う強さを持っている人だった。仕事の場でそれが出来る人なんて、そうそういないと思う。

今日、その人の訃報を聞いた。

とても悔しくなった。もっといろんなことを知りたかった。聞きたかったし、話したかった。でも、その人と話せるのは収録の合間の短い休憩時間だけだったし、なにしろ自分はどうしようもない若造だった。いつも緊張していて、そのくせかたくなになっていて、その人が優しく手を差し延べてくれてても、それをうまく握ることができなかった。あのときの自分は、仕事にもその人に慣れていなくて、心を開いて話すことができなかった。とてつもない馬鹿だった。

会社のヒエラルキーの外にいて、でも同じ作り手の位置からいろいろ言ってくれるその人は、若かった自分にとって、とても貴重な存在だった。もっと素直になれていたら、もっと楽しい時間を過ごせたかもしれない。その人のことを尊敬しているということだけでも伝えられたら、今、もっと違った気持ちで居たかもしれない。

ようやく仕事に慣れ、その人にも慣れてきた自分は、少しずつ心を開けそうだったが、COVID-19のせいで結局そのことを話せていない。ここ数年はCOVID-19の流行で、オンラインで繋いでの収録がメインになった。オンラインでの収録では休憩時間は通話を切ってしまう。そのほうがお互いにきちんと休めるからだ。

自分は心を開いてその人と話す機会を逃したまま、その人になにも伝えられないまま、結局、彼は僕の知らないうちに病気になって、死んだ。

その人は収録のあと、声優さんやナレーターさんをきちんとケアし、そのあとはものすごい早業で編集し、すごい時間にファイルを送ってくる。翌朝、のろのろと出社した自分は、いつもそのファイルの入稿時間に驚いていた。この人はきっと、死んでも締切を守る人なんだなと思っていた。

締切、もう守らなくていいですよ。ゆっくり休んでください。ありがとうございました。どうか安らかに。

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